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2007/06/24

菅野 覚明 『神道の逆襲』

神道の逆襲 菅野 覚明(著) / 『神道の逆襲』 / 2001-06 / 講談社(新書) / B

神道の逆襲?! え、逆襲するもなにも、そもそも誰かに攻められたことあるの?! 読み始めても固い話が延々と続いて、面白そうなタイトルとのギャップに何度も本を閉じそうになった。 ところが、半分をすぎたあたりから俄然面白くなってきて、第八章「危ない私と日本」、第九章「人はなぜ泣くのか」、第十章「魂の行方」はもう良質の哲学書を読んでいるような知的興奮に包まれることになる。

賀茂真淵や本居宣長にみる「今、ここ、私」。
鉄腕アトムにみる神話時代のヒーローと神道の道徳観。
えぇ?!

教義がないのが教義、教典もない、信仰と呼べるものもうーん、あるんかいな、という神道。 ところがどうして。 ちゃんと先人たちは考えていたのですよ。 悩んでいたのですよ。 様々な試みがなされてきたのですよ。

「今、ここにいる私」というのは古今東西を問わずありとあらゆる思想・哲学の対象になってきた。 そして、日本の神道(国学)もその例外ではない!と。 取り上げられるのは国学者賀茂真淵と本居宣長。

賀茂真淵は、武士の間に広まっていた儒学(朱子学)的な価値観、つまりできるだけ「私」という固有性を排除して普遍的絶対的な理(ことわり)へたどりつこうとする姿勢を批判して、個人の思い(今、個々にいる私)がもっともよく現れている『万葉集』を賛美した。 (第八章。このタイトルは誤解を招きそう。「危うい私と日本」にした方がよかったかも。)
本居宣長は「泣く」という最も強い感情に注目して、もののあはれを描ききった『源氏物語』を賛美した。(第九章)

ふーん、かなり学校で歴史の時間にならったことと違いますね。授業と違ってものすごく立体感を伴った近世、近代とつながる近世の絵が浮かび上がってきます。 それが逆方向に辿り直して跡づけした歴史解釈だとしても。

創世神話・神様の基本形はこんな感じ。 ここからエキサイティングな第九章、第十章が展開されるので覚えておくとスッと理解できます。

イザナギ(男・兄)天照大神(この世・太陽)天皇(人道)
イザナミ(女・妹)須佐之男命(黄泉の国・月)大国主命(神道)

前半がちょっとしんどかったのでBとしましたが、後半だけならA評価です。

Amazon.co.jp: 『神道の逆襲』

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